2017.01.28 Saturday

東京・両国散策 回向院、すみだ北斎美術館

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     2017年1月27日から28日にかけて第28回自治労連・共済組合議員団総会・研修会が開催された東京・両国を散策しました。


     28日の早朝に訪れたのは回向院。回向院は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。   
     この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。
     当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。


     石造明暦大火横死者等供養塔


     力塚の碑
     日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのための勧進相撲興行の形態をとっていました。その勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和5年(1768)のことで、寛政年間を経て文政年間にいたるまで、勧進相撲興行の中心は回向院とされてきました。

     やがて天保4年(1833)より回向院は春秋2回の興行の定場所となり、明治42年の旧両国国技館が完成するまでの76年間、「回向院相撲の時代」が続いたのです。

     力塚の碑は、昭和11年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したものですが、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑として、現在も相撲と回向院とのつながりを示す象徴になっています。


     ねずみ小僧次郎吉の墓
     時代劇で義賊として活躍するねずみ小僧は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗み、町民の長屋に小判をそっと置いて立ち去ったといわれ、その信仰は江戸時代より盛んでした。


     猫の恩返し(猫塚)
     猫を可愛がっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が苦しくなったとき、猫がどこからともなく二両の金を咥えてきて、魚屋を助けました。
     その後猫は姿を消してしまったのですが、ある商家で猫が二両咥えて逃げようとしたところをみつかり、奉公人に殴り殺されてしまった。そのことを知った魚屋は商家の主人に事情を話しました。
     主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。 
     この話が 「猫の恩返し」 江戸っ子の間で広まりました。
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    2014.07.18 Friday

    イスラエル大使館前でパレスチナ人の抗議

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       2014年7月18日、要請・懇談をした全国市町村職員共済組合連合会の事務所がある東京ガーデンパレスの近くにイスラエル大使館があり、パレスチナ人の抗議行動に遭遇しました。
      イスラエルのパレスチナ自治区ガザ地区への攻撃に150人ぐらいのパレスチナ人が抗議していました。

      2014.05.17 Saturday

      東京、両国へ

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        2014年5月17日、自治労連の会議のため、東京へ。会議の会場が両国、駅内でも横綱の写真が展示されています。




        駅前には両国国技館


        大相撲五月場所が開催されているためか、たくさんの旗が掲げられていました。
        2013.11.06 Wednesday

        靖国神社

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           以前、東京に立ち寄ったときに、靖国神社を見に行ってきました。靖国神社参拝の問題が話題になっているだけに、この目でみてみようと思いました。

          靖国神社は、1869年(明治2年)、明治政府が戊辰戦争での官軍の戦死者を弔うため、「東京招魂社」の名前で創建されました。その後、「靖国神社」と改称。日清、日露、日中戦争などの戦没者がまつられていました。
          国のために命を捧げた軍人らは、「英霊」とたたえられ、現在は250万近い人がまつられています、しかし、原爆や空襲で死んだ民間人や官軍と戦った旧幕府側や明治政府に反抗した西郷隆盛らは対象外です。
          1978年には東条英機元首相らA級戦犯14人が合祀されており、「天皇のために戦争で」命を捧げた軍人がまつられている神社といえます。



           地下鉄の「九段下駅(出口1)」を出て徒歩5分で靖国神社へ。最初に見えてきたのは第一鳥居(大鳥居)。高さは25m。鳥居の向こうに見えるのは近代日本陸軍の創設者で靖国神社の創建に尽力した大村益次郎銅像。

           第二鳥居、神門前の境内。第二鳥居は、青銅製の鳥居としては日本一の大きさを誇るといいます。


           神門の扉には、直径1.5メートルの菊花の紋章が取り付けられています。


           中門鳥居と拝殿。拝殿の前には賽銭箱が置かれており、通常はこの場所で参拝されます。


           日本の過去の侵略戦争を美化・正当化するために建てられた遊就館。22部屋の展示室と2つの映像ホールより構成されています。
           
           展示室入口の明治維新前の時期の日本をめぐるアジアの情勢のパネルでは、見学する団体に対して解説する人が「アジアは欧米によって植民地化されていた。日本も危なかった。それまで日本はひとつの国ではなく、いくつもの藩の連合体であり、これでは日本もアジアの他の国のようになるということで、天皇を中心とした中央集権的な国づくりを始めた。」と語られていました。

           また、展示室をまわっていくと、展示パネルに、日本は欧米から包囲されてやむなく戦争をおこなった、アジアの解放のためにも戦争をおこない、その結果、戦後、アジアの国々は独立していき、ベトナムもそうであり、アフリカの独立したのも、日本の影響による主旨の記述には唖然としました。やはり独特の戦争観です。

          「アジア諸国の解放と共存共栄の新秩序を確立する」(「特別展 大東亜戦争70年展3」徳川康久宮司のあいさつ文)ことが戦争の目的だったと掲げられています。



          「国のために尊い命を捧げられた英霊」のご遺書・ご遺品と歴史記述パネルを展示されていますが、戦闘機や高角砲、操縦したまま自らも敵艦に体当たりする人間魚雷「回天」、ロケット推進機「桜花」、戦車などの大型兵器も展示。


           神社の境内には砲台も


           神社の境内にある神池庭園

          2014年1月10日放送の「報道するラジオ」
          安部首相の靖国参拝について放送していました。
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