2016.10.11 Tuesday

チェコ・ポーランド旅行10 ラスト・プラハ

0
     2016年10月10日、ヴロツワフのホテルで朝食をとっていると映画監督のアンジエイ・ワイダが亡くなったことがテレビで放映されていました。
     バスで3時間かけて、再びチェコ・プラハに戻ります。



     プラハの北西にあるストラホフ修道院近くのレストランで昼食




     ストラホフ修道院 12世紀に造られ、17〜18世紀にバロック様式に増築されました。バロック様式は、イタリアのローマで誕生しフランスで花開いた17世紀初め〜18世紀中頃の建築様式で、楕円や曲線を多様した動きのあるデザイン、派手とも言える装飾が特徴。


     ストラホフ修道院の「哲学の間」、天井のフレスコ画が見事です。



     修道院近くのストラホフ広場 の高台からプラハ城やブラバの街並みが見えます。
     
     帰りの航路は、行きと同様に 午後5時半にプラハ空港を出発し、仁川空港を経由して、11日午後5時過ぎに関西空港に到着しました。

    2016.10.09 Sunday

    チェコ・ポーランドの旅9 ヴロツワフ

    0
       2016年10月9日、午後からビルケナウを出て、北西にバスで2時間半かけてヴロツワフに行きました。 ヴロツワフは、ポーランドのシロンスク地方の中心都市として文化・経済ともに栄えてきました。人口64万人。オドラ川がまちを流れています。


      世界遺産 百周年記念ホール
       2006年にユネスコの世界遺産に登録。プロイセン(ドイツ)がフランスのナポレオン軍にたたかって、勝利した 1811年のライプツィヒの戦い(ナポレオン戦争)から100周年を記念して建てられました。 シチトウニツキ公園にあり、公園には毎正時おこなわれる噴水ショー、日本庭園、博物館があります。


      噴水ショー




       日本庭園


       百周年記念ホールと同様の様式の2013年に建てられた博物館





      ヴロツワフの中心部、市庁舎と旧市場広場
      続きを読む >>
      2016.10.09 Sunday

      チェコ・ポーランドの旅8  ビルケナウ

      0



         2016年10月9日、チェコ・ポーランド旅行5日目、アウシュビッツ強制収容所を見た後に約2kmほど離れたところにあるビルケナウ(第2アウシュビッツ強制収容所)に行きました。写真は「死の門」と呼ばれるビルケナウ強制収容所の中央門。強制収容所送りの人々を載せた輸送列車がこの門をくぐってからここで選別をされました。働けない子どもや障害者、高齢者など75%がガス室に送られたといいます。
         ビルケナウの強制収容所は、面積は1.4キロ平方メートル、300棟以上のバラックが並び、アウシュビッツ強制収容所よりも大規模な収容所です。 1941年に開設。


         アウシュヴィッツの象徴として映画や書籍などで見られる「強制収容所内まで延びる鉄道引込み線」は1944年5月に完成。




         ビルケナウ強制収容からの当時の写真








         当時の強制収容室


         トイレ
        続きを読む >>
        2016.10.09 Sunday

        チェコ・ポーランドの旅7 アウシュビッツ

        0
           2016年10月9日、チェコ・ポーランド旅行5日目、アウシュヴィッツ強制収容所跡のアウシュヴィッツ博物館に行ってきました。
           クラクフの西54kmにバスで2時間半で強制収容所跡のあるオシフィエンチムへ。 
           アウシュビッツ強制収容所は1940年にナチス・ドイツによってつくられ、オシフィエンチムの町の名前もドイツ名のアウシュビッツに変えられました。
           国家をあげて推進した人種差別的な絶滅政策 (ホロコースト) や強制労働により、150万人のユダヤ人などが犠牲者を出した強制収容所です。
           ユダヤ人以外にロマ、反ナチス活動家、共産主義者、同性愛者、障害者などが収容所に送られました。
           ユネスコの世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年に世界遺産に登録されました。


           アウシュビッツ博物館の入場チケット


           インフォメーションセンター


           唯一のアウシュビッツ日本人ガイド、中谷剛さんが案内してくれました。
           アウシュビッツを過去の問題、ヒトラー一人の責任にするのではなく、なぜこんなことを許したのか、現在の問題と考えてほしいとソフトに語り案内してくれました。現在のヘイトスピーチや移民・難民問題にも壓がっていると語っていました。


           収容所入口であったゲートには「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」という文字が掲げられています。「ARBEIT」の「B」の文字が上下反転されています。これをつくった被収容者の抵抗の証とも言われています。






           アウシュビッツはヨーロッパの中心に位置し、鉄道の接続が良く、工業に欠かせない炭鉱集められや石灰の産地が隣接していたために強制収容所がつくられ、ヨーロッパ各地から多くの人が強制収容されました。


           列車によって連れてこられた写真 収容所の収容能力から子どもや高齢者、女性、病人など、働けない者など75%の人がガス室に送れこまれたそうです。


           ガス室で使われたチクロンBの劇薬が入っていた空き缶


           航空写真 上がビルケナウ(第2アウシュビッツ強制収容所)






          被収容者の髪の毛やカバン、バッジ


          続きを読む >>
          2016.10.08 Saturday

          チェコ・ポーランド旅行6 ヴィエリチカ岩塩鉱

          0

             

             2018年10月8日、午後からクラクフの南東15kmにあるヴィエリチカ岩塩鉱に行きました。
             ヴィエリチカ岩塩鉱は、1978年にユネスコの世界遺産に登録されました。
             13世紀頃から開業、岩塩鉱として世界最古です。 坑道の総延長は約300 km、最深部は327 mに達する広大な地下採鉱場。一般に公開されているのは深さ135mまで。



             このエレベーターで岩塩鉱を降りていきます。




            キンガ姫伝説
             その昔、ハンガリーの王女キンガ姫がポーランド王家に嫁いだ時、強い想いをこめて投げた指輪の示した場所がヴィエリチカであり、そこから塩があふれるようになったという伝説があります。




            続きを読む >>
            2016.10.08 Saturday

            チェコ・ポーランドの旅5 古都クラクフ

            0
               2016年10月8日、ポーランドの古都クラクフを観光。
               ポーランドは、10世紀に統一国家が成立。16世紀から17世紀ポーランド・リトアニア共和国として国を拡大しましたが、第一次世界大戦後 ポーランドとして独立。しかし、ドイツ・ヒトラーによって植民地化され、第二次世界大戦後、開放。戦後、ソ連による強い影響を受けましたが、1989年に民主主義革命。
               ポーランドの貨幣はズウォティzt 。1ズウォティは日本円で30円。
               クラクフは11世紀中頃から 1596年までの約550年間、ポーランド王朝の首都として栄えた都。とりわけポーランド王朝の全盛期だった1386年から1572年のヤギェウォ王朝の時代に、現在の偉容を整えました。当時のクラクフはボヘミアのプラハ、オーストリアのウィーンと並ぶ文化の中心地でした。
               1939年に、ポーランドがナチス・ドイツの侵攻を受け、クラクフも支配されますが、第二次世界大戦の戦災を免れ、中世そのままの街並みが現在まで残されています。
               戦争中、ナチス・ドイツのヒムラーがクラクフに居住していたために空爆がなく、無傷で残ったそうです。
               1978年に旧市街地全体がユネスコの世界遺産に登録。


               クラクフのまず最初に向かったのはヴァヴェル城。ヴァヴェル城は、クラクフ旧市街地の南、ヴィスワ川が大きく屈曲する丘の上にあります。歴代ポーランド王の居城。


               ヴァヴェル大聖堂の時計塔が見えてきました。右の像は、ポーランドで1794年のロシアに対する独立奮起を指導した英雄タデウシ・コシチュシコの像

              ヴァヴェル大聖堂 ゴシック様式で14世紀に建設、16−17世紀にルネッサンス様式の礼拝堂 ジグムント・チャペルが増築されました。14世紀から18世紀までの400年間、ほとんどのポーランド国王の戴冠式がこの大聖堂で執り行われました。左側は時計塔。

               
                金色のドーム、ジグムント・チャペルは16世紀にジグムント王の要請でイタリアから招かれた建築家によって造られた、ポーランドにおけるルネッサンス様式の傑作と言われています。
               ルネッサンス様式は、15〜16世紀にかけてイタリアで始まった古典古代復興の動きで、曲線を用いたシンプルで端正かつ華やかさのあるデザインが特徴。




               ヴァヴェル城・旧王宮
               ゴシック様式とルネッサンス様式の複合建築。



               
               つたの葉が紅葉して美しいビジターセンター



               ヴァヴェル城からヴィスワ川沿いに見える日本美術・技術センター マンガ館
               今年10月9日(この日の翌日)に亡くなった映画監督アンジェイ・ワイダ氏が中心となって建てられ、約7千点に及ぶ日本美術が展示。

              続きを読む >>
              2016.10.07 Friday

              チェコ・ポーランドの旅4 オロモウツ

              0
                 2016年10月7日、プラハから 東のオロモウツへ。バスで休憩をとりながら約3時間。

                 オロモウツはモラヴィア地方にある10万人という チェコ5番目の人口のまち。 チェコの西半分はボハミア地方で、東半分はモラヴィア地方という。
                 


                PODOKVAというレストランで昼食

                 路面電車も走る美しい街並み










                聖ヴァーツラフ大聖堂 塔は高さ100,65mでモラヴィアで最も高く、チェコ国内では2番目に高い塔です。ゴシック建築。内装もステンドグラスやパイプオルガン、天井画など見事。




                モーツァルトが住んでいたという家。今は大司教区博物館。


                オロモウツ大学

                 オロモウツ大学の図書館

                 共和国広場にあるトリトンの噴水 後ろはオロモウツ博物館
                 聖ヴァーツラフ大聖堂が見えます


                 自撮り棒の広告か?

                続きを読む >>
                2016.10.06 Thursday

                チェコ・ポーランド旅行3 チェコ旧市街地

                0


                   2016年10月6日、カレル橋から旧市街広場に入ってきます。
                   プラハを代表する観光地で、多くの観光客で賑わっています。宗教改革や民族運動など、さまざまな事件の舞台となった場所。


                  旧市庁舎の天文時計
                   旧庁舎は旧市街広場に建つゴシック様式の建物。市庁舎の壁にある「12人の使徒像の天文時計」は毎正時に動き出します。
                   天使の両脇にある窓が開き、死神が鳴らす鐘の音とともにキリストの12使徒が窓の中にゆっくりと現れては消え、最後には時計の一番上に現れる鳩が鳴いて終わります。

                  チェコ・プラハの旧庁舎の時計塔(動画)




                   昼食






                   高さ約70mの旧庁舎の塔からは、プラハの街を一望しました。


                  旧市街地広場の中央にあるヤン・フス像
                   チェコの英雄的存在であり、宗教革命の先駆者として火刑の最後を遂げたヤン・フス没後500年を記念した建てられた銅像。


                  ゴルツ・ キンスキー宮殿
                   18世紀中頃ゴルツ伯爵の命で建てられたロココ様式の宮殿。
                   第二次世界大戦後の1948年2月25日に同宮殿の2階のバルコニーで、ゴットワルド元大統領がかの有名な「今私は城に帰ってきた」と演説した場所でも有名です。現在は2、3階を国立美術館として利用されています。




                  聖ミクラーシュ教会
                   12世紀に建てられた小さな教会が礎となっている。18世紀に入り、50年以上かけて現在の美しいバロック様式となりました。
                   バロック様式は、イタリアのローマで誕生しフランスで花開いた17世紀初め〜18世紀中頃の建築様式で、楕円や曲線を多様した動きのあるデザイン、派手とも言える装飾が特徴。
                    聖ミクラーシュの生涯を描いた天井のフレスコ画は見事で、バイブオルガンの演奏がされていました。

                  聖ミクラーシュ教会(動画)


                  聖ミクラーシュ教会の隣にあるフランツ・カフカの生家


                  ティーン聖母教会
                   12世紀に建てられ、1365年に現在のゴシック様式に改築。「ティーン(税関)の前に建つ聖母マリア教会」が正式名称。15世紀にはフス派の本拠地として、宗教改革に大きな役割を果たした教会。


                  27の白い十字架
                   1621年、ビーラーホフの戦いに敗れ処刑された反ハップスブルク家貴族の首が置かれた場所を示しています。

                  続きを読む >>
                  2016.10.06 Thursday

                  チェコ・ポーランド旅行2 カレル橋

                  0


                     2016年10月6日、プラハ城の後はカレル橋
                     ヴルタヴァ川(ドイツ語で「モルダブ川」)に架かるゴシック様式の美しい橋。12世紀初めに木造の橋が架けられたが洪水で損傷し、カレル4世が1402年に現在の石橋を完成させました。橋は全長516m、橋の欄干に並ぶ30体の聖人像は、17世紀末以降に造られました。
                     当時はヴルタヴァ川の東西を結ぶ唯一の橋であり、歴代王の戴冠式の行進などのプラハの公式行事の場としても使われました。
                     ヴルタヴァ川は、 チェコの偉大な作曲家スメタナの交響曲「わが祖国」の 「モルダウ」の主題となっている、スメタナの故郷の大河です。


                     マラー・ストラナ(小地区)側の橋塔


                     マタの聖ヨハネとヴァロフの聖フェリックス及び聖イワン像
                     1714年ブロコフ作。イヌを連れたトルコ人が牢の中のキリスト教徒の番をし、その上に聖イワンと三位一体創設者のふたりが立っています。





                     聖ヤン・ネポムツキの像
                     1683年ブラウン作。橋上最古で、唯一のブロンズ像。聖ヤン・ネポムツキは、ボヘミアの守護聖人 。ヴルタヴァ川に突き落とされ殉死。その場面が描かれた台座の図柄をさわると幸福になると言い伝えがあり、多くの人々がさわっていました。

                    続きを読む >>
                    2016.10.06 Thursday

                    チェコ・ポーランド旅行1 チェコ・プラハ プラハ城

                    0
                       2016年10月5日から11日にかけて、チェコとポーランドに行ってきました。
                       5日、午前9時半に関西空港を出発し、仁川空港を経由して、午後5時過ぎ(日本との時差ー7時間)にプラハ空港に到着。プラハのホテルに着いたのは、午後6時過ぎ。ホテルは「ホテル デュオ」。


                       ホテルでさっそく、チェコ・ビールで乾杯!右がビルスナー・ウルケル、左がクルショピツェ。

                       プラハは、14世紀に神聖ローマ帝国とボヘミアン王国の首都として栄え、「百塔の町」「建築博物館の町」「ヨーロッパの魔法の都」など美しい町です。
                       6日、1992年に世界遺産に登録されたプラハ歴史地区へ、最初にプラハ城に向かいます。
                       プラハ城は、ボヘミア王王家と宗教施設群が一帯となっています。
                       9世紀後半にプシュミスル王家によって建設が始まり、14世紀のカレル4世の時代にほぼ現在の威容を整えました。
                       歴代のチェコの支配者が居住し、現在も大統領が執務をおこなっています。


                      マティアス門から入る

                      コールの噴水
                       1686年に制作された噴水



                       聖ヴィート大聖堂 14世紀、カレル4世の命によってロマネスク様式からゴシック様式に改装されました。一番高い塔の高さは99メートルもあり、壮大。 圧倒されます。
                       ゴシック様式(12世紀中頃〜15世紀末)は、力強い印象のロマネスク様式(10世紀後半〜13世紀)とは違って繊細な印象。林立する尖塔も外観の特徴。





                       聖ヴィート大聖堂の内部も壮厳でステンドグラスが見事。


                       アールヌーボーの代表的な画家、ムハ(Mucha=フランスではミュシャとも言われる)のステンドグラス

                      続きを読む >>
                      Calendar
                           12
                      3456789
                      10111213141516
                      17181920212223
                      24252627282930
                      31      
                      << March 2024 >>
                      プロフィール画像
                      profilephoto
                      PVカウンター
                      androidアプリの開発方法
                      メール・フォーム
                      Selected Entries
                      Categories
                      Archives
                      Recent Comment
                      Recent Trackback
                      Links
                      Profile
                      Search this site.
                      Others
                      Mobile
                      qrcode
                      Powered by
                      30days Album
                      無料ブログ作成サービス JUGEM