2017.03.19 Sunday

かに・白髭神社ツアー

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     2017年3月19日、かにを食べにツアーで福井の小浜へ。


     途中、滋賀県北西部の高島市にある、琵琶湖に面した白鬚神社を立ち寄りました。上の写真は琵琶湖の中にある白髭神社の鳥居。

     白髭神社の創建は1900年前。第11代天皇の垂仁天皇の頃で、近江最古の神社とされています。また、全国にある白髭神社の総本社ともされています。
     白髭神社のご祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)で、社名からも分かるように延命長寿の神様。また、福徳開運・縁結び・子授け・生児の名授け・交通安全・船舶安全等人生の全ての道案内の神として広く信仰を集めています。



     本殿 豊臣秀吉の遺命を受けた豊臣秀頼の寄進を受けて慶長8年(1603年)に建立されたもの。本殿は檜皮葺きで入母屋造りで桃山時代特有の建築様式を今に受け継いでいます。



     若宮神社 本殿と同じく豊臣秀吉の遺命を受けた豊臣秀頼の寄進を受けて慶長8年(1603年)に建立されたもの


     白髭神社の社殿背後の山の斜面には古墳群が存在しており、この石はパワースポットになっています。
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    2017.01.28 Saturday

    東京・両国散策 回向院、すみだ北斎美術館

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       2017年1月27日から28日にかけて第28回自治労連・共済組合議員団総会・研修会が開催された東京・両国を散策しました。


       28日の早朝に訪れたのは回向院。回向院は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。   
       この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。
       当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。


       石造明暦大火横死者等供養塔


       力塚の碑
       日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのための勧進相撲興行の形態をとっていました。その勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和5年(1768)のことで、寛政年間を経て文政年間にいたるまで、勧進相撲興行の中心は回向院とされてきました。

       やがて天保4年(1833)より回向院は春秋2回の興行の定場所となり、明治42年の旧両国国技館が完成するまでの76年間、「回向院相撲の時代」が続いたのです。

       力塚の碑は、昭和11年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したものですが、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑として、現在も相撲と回向院とのつながりを示す象徴になっています。


       ねずみ小僧次郎吉の墓
       時代劇で義賊として活躍するねずみ小僧は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗み、町民の長屋に小判をそっと置いて立ち去ったといわれ、その信仰は江戸時代より盛んでした。


       猫の恩返し(猫塚)
       猫を可愛がっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が苦しくなったとき、猫がどこからともなく二両の金を咥えてきて、魚屋を助けました。
       その後猫は姿を消してしまったのですが、ある商家で猫が二両咥えて逃げようとしたところをみつかり、奉公人に殴り殺されてしまった。そのことを知った魚屋は商家の主人に事情を話しました。
       主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。 
       この話が 「猫の恩返し」 江戸っ子の間で広まりました。
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      2017.01.13 Friday

      すしの話2

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         酢を使わない、ご飯も食べない、昔のすし、「発酵すし」「なれずし」が今の日本にもあるとして、2017年1月13日付「しんぶん赤旗」に掲載されていました。
         郷土ずし研究家の日比野光敏さんが「誰も書かなかったすしの話」の第2回目として書かれた記事です。先週の1回目に続く記事です。食いしん坊の私としては興味深い。


         その一例が、滋賀県の郷土料理、フナずし。

         室町時代になるとご飯も一緒に食べてしまおうという動きが出てきました。
         すしを食べるのが上流階級だけだったのが、中流階級以下にも広がっていき、「ご飯を捨てるなんて、もったいない」。
         ご飯も一緒に食べるため、発酵が浅いままのずしができました。これを「ナマナレ」といいます。 


         その一例が広島県尾道市の因島に伝わる「しばずし」 
         漬ける魚は、何でもよい。
        2017.01.07 Saturday

        すしの起源

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           2017年1月6日付「しんぶん赤旗」にすしの起源について記事が掲載されていました。郷土ずし研究家の日比野光敏さんが「誰も書かなかったすしの話」の第1回目として書かれた記事です。
           すしは日本オリジナルの食べ物だと思っていましたが、東南アジアのメコン川中流域の生まれだそうです。とても興味深い。以下はその抜粋。
           すしは東南アジアのメコン川中流域の生まれで、稲作民が付近で捕れた淡水魚で作り出した保存食。
           現在でもこれらの国々に行くとプラーソム(タイ語)、ソンバ(ラオス語)、プオーク(カンボジア語)などと呼ばれる「すしの原型」が作られています。

           パニン(ティラピア)のソンバ(ラオス)。食べるときは焼いたり、炒めたりと、必ず火を入れる。


           プラータビエン(小型淡水魚)のプラーソム(タイ) トウガラシやニンニクとともに、油で揚げたもの
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          2016.12.02 Friday

          駿府城公園

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             2016年12月2日、自治労連国民春闘討論集会2日目の早朝、ランニングで静岡駅近くにある駿府城公園に行ってきました。
             駿府城公園は、徳川家康が天正13(1585)年に築城し、大御所として晩年を過ごした駿府城の遺構です。




             東御門と巽櫓(たつみやぐら)




             二ノ丸水路


             徳川家康公の銅像


             坤櫓(ひつじさるやぐら)
            2016.08.23 Tuesday

            後楽園と岡山城

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               2016年8月23日、自治労連定期大会終了後、後楽園と岡山城を見てきました。



               後楽園は 金沢市の兼六園、水戸市の偕楽園と並ぶ優れた景観のある日本三名園の一つ。今から約300年前に岡山藩主池田綱政の命により造られた大名庭園です。


               後楽園の中を清らかな小川のように流れる曲水は、そばを流れる旭川から引き入れられています。




              沢の池にある御野島と中の島



               花交の池



               花交の滝



              八橋 八橋に添えてカキツバタが植えられています。この組み合わせは「伊勢物語」の「東下り」にちなんだものです。
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              2016.06.19 Sunday

              明通寺と反原発の中嶌住職のお話

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                 2016年6月19日、午後から明通寺に行きました。
                 反核・反原発の運動をされている 中嶌 哲演(なかじま てつえん )住職からお話を聞きました。

                 中嶌住職は、高野山大学在学中、友人に半ば強引に平和講習に連れて行かれ、広島原爆の男性被爆者と出会ったのを機に、被爆者支援の活動を始め、日本本宗教者平和協議会にかかわったという。
                 「原発設置反対小浜市民の会」を結成、事務局長を務める。以来、反原発市民運動を展開されています。
                 以下、中嶌住職のお話のメモ

                ・若狭には15基の原発かある。
                最初にてきた敦賀原発1号は、1970年運転開始され、アメリカのGE(ゼネラルエレキトリック)によってつくられた。アメリカからの直輸入によってつくられたもの。

                ・関西の電力の55%は若狭の原発だった時期もあった。関西の運動に期待。

                ・福島で起きている妊娠異常

                ・大津地祭 高浜原発運転停止 原発地以外から提訴。
                 原発立地住民は、残念ながら、末期の麻薬患者みたいなもので、危険だとわかっていてもやめられない。

                ・沖縄の米軍基地反対のたたかいは、原発反対のたたかいと同じ構図。
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                2016.06.19 Sunday

                福井県小浜市内を散策

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                   2016年6月19日、福井県小浜市で泊まり、早朝から小浜市内をランニングしながら散策。


                   小浜の海岸


                   「鯉のぼり」ではなく、「鯖のぼり」







                  高成寺
                   高成寺は足利尊氏が暦応2年(1339年)に若狭小浜に建立した安国寺。



                  三丁町
                   小浜は昔から京都と深いつながりを有し、今も生活のいたるところに京文化の面影が残っています。
                   三丁町と呼ばれるかつての茶屋町には、狭い路地、ベンガラ格子や出格子の家が軒を連ね、落ち着いた雰囲気の中にも当時の面影を残しています。
                   NHKの朝ドラ「ちりとてちん」のロケ地にもなったそうです。



                   八百比丘尼入定洞 (はっぴゃくびくににゅうじょうどう)
                   人魚の肉を食べ、美しい姿のままで八百歳まで生きたという八百比丘尼の不老長寿伝説。全国を行脚し、貧しい人を助け、椿の種をまき花を咲かせた後若狭に戻り、自らこの洞穴に入り亡くなったといわれています。
                   健康長寿を願う人々がお参りしています。



                   空印寺
                   酒井家墓所のある空印寺および小浜小学校の場所は、大永2年(1552)武田元光が後瀬山築城の際、堅固な城館(旧小浜城)を構築した所です。



                   八幡神社
                   鎌倉時代の初めに建てられたものです。


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                  2016.05.30 Monday

                  ノルウェーのお酒 「 リニア・アクアヴィット 」 と倉吉のお酒「元帥」

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                     2016年5月30日、テレビ「鶴瓶の家族に乾杯」で北海道の厚沢部町を訪れた鶴瓶がじゃがいもの焼酎を飲んでいたのを見て、2008年8月に北欧に行ったときに買った「リニア アクアヴィットLinie Aquavit」のミニチュアボトルを思い出し飲みました。
                     「リニア アクアヴィット」は、ジャガイモを原料とする蒸留酒で、ハーブ類やレモンピールとともに蒸留して香り付けを行います。
                      樽詰後は、船積みし、赤道越えの航海をして帰ってくるために、独特なフレーバーが楽しめます。  
                     アクアビットの名はラテン語の「アクア・ヴィテ(生命の水)」が変化したものです。
                     また、リニアとは「赤道」という意味で、その昔、樽詰めしたアクアヴィットを船に積み、赤道越えの航海から戻ってくると、風味が向上していたことに由来します。
                     現在でもその製法を忠実に守り、蒸留したアクアヴィットを5〜10年のシェリーの古樽に詰め、オーストラリアまで航海させて製品化しています。


                     アクアヴィットを飲んでいると、娘が鳥取県・倉吉市で地酒「元帥(げんすい)」 を買ってきたので、さっそく飲んでみました。
                     ふっくらとした美味しいお酒でした。やはり日本のお酒のほうがいい。
                    2016.05.28 Saturday

                    羽曳野・古市古墳群

                    0
                       2016年5月28日、羽曳野市に行き、古市古墳群を散策しました。

                       墓山古墳
                       墳丘長225m、後円部の直径135m、前方部の幅153mの前方後円墳で、幅30-40mの濠を持つ。5世紀前半の大王級の古墳と言われています。

                      翠鳥園遺跡公園  
                       およそ2万年前の石器や、それを作るときにできる石の破片が約2万点も見つかった遺跡公園。旧石器時代の遺跡としては国内最大級。


                       西馬塚古墳
                       墓山古墳の前方部西側にあり、同古墳の陪塚とされています。
                       陪塚は、 大型の古墳とともに古墳群をなす小型の古墳であり、なおかつ大型の古墳と同一の時代に、その周囲に計画的に建設されたとみなされるものを指します。
                       中心となる大型の古墳に埋葬された首長の親族、臣下を埋葬するもののほか、大型の古墳の埋葬者のための副葬品を埋納するために建設されたものもあると考えられています。
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